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2010.12.22 Wed
第7回国際高校生フォーラムin倉吉 松本深志高プレゼンテーション
シャロムのゲストで安曇野に移り住んだ素敵な家族がおられます。
家族ぐるみのおつきあいをさせて戴いています。
お子さんも高校生になり倉敷であった第7回国際高校生フォーラムin倉吉 松本深志高の一員として参加 動画は編集カットされているので内容は良く伝わりませんが文字媒体もここにアップしておきます。シャロムのことも語られています。

お母さんは安曇野の田舎暮らしを毎月綴っておられます。
この文章も素晴らしい
あこがれの信州暮らし
http://www5b.biglobe.ne.jp/~oyaoya/yomimono.htm




これより、松本深志高校のプレゼンテーションを始めます。
考衆―人間は人間の希望である―
第一章  問題の所在

人類は、ここ200年ほどの間、驚異的なスピードで進歩してきました。
電子機器の発達のおかげで仕事の負担が軽減され、情報のネットワークが全世界に広がって地球は小さくなりました。
今や私たちは、日本にいながら世界中の食品を味わい、自分の手で作らずとも多様な品物を手に入れることができます。
でも、そんな進歩によって私たちは幸せになったのでしょうか。
餓えや病で死亡するリスクが低くなったのにも関わらず、日本では年に3万人以上の人が、自ら死の道を選んでいます。
一瞬のうちに莫大な富を手に入れる人がいる一方で、いくら働いても生活が楽にならない「ワーキングプア」と呼ばれる人々が増え続けています。
24時間営業のコンビニエンスストアや簡単お手軽な調理済み食品が登場して便利になった反面、日本だけで年間約2000万トンもの残飯が出ているというのが現状です。
そこで私たちは、「現在の進歩は多くの問題点を抱えている」ということを大前提として、「どんな社会を目指すべきなのか」、について話し合いを始めました。
しかし、話し合いを重ねれば重ねるほど、私たちは簡単には答えを出せなくなってしまいました。
どんな社会を提示しても、どれもそれぞれに何かしら問題点を抱えていたからです。
でも、よく考えるとそれは当たり前のことですよね。封建社会にも、社会主義社会にも、資本主義社会にも、問題点は存在しています。誰にとっても完全な社会など、あり得ないのではないでしょうか。
これまでの進歩の問題点は、そのような社会の不完全さや問題点を、直視してこなかったところにある、と私たちは考えました。
本当の問題は、進歩が引き起こした個々の事象ではなく、それらの問題点を直視してこなかった私たち自身なのです。
なぜ私たちは、問題点を直視することができなかったのでしょうか。
誰もが「このまま進歩を続けていけばいい社会になる」
「今ある問題はこのまま前に進んでいけばいつか解決する」と問題から目をそらし、「目の前の問題はいつか、どこかで、誰かが解決してくれる」と思い込んできたことが、その原因です。大多数の人は、流されているということにさえも気づかないまま、その雰囲気に流されていたのです。
今までの私たちは、世の中の雰囲気に身をゆだねることで、自分の頭で考え、解決の方法を探ることを、自ら放棄してきたのではないでしょうか。

第二章  思考の放棄

「誰かに思考や判断を預けて社会の雰囲気に流されてしまう」という特徴は、何も大人たちにだけ当てはまる話ではありません。現代、二一世紀の私たち高校生の身を振り返ってみると、自分たちがどれほど「考える」ことを放棄しているか、驚くほどです。
例えば、松本深志高校では、大量の宿題が出されます。私たちは日々、それらの与えられた宿題を消化していくだけで精一杯です。
自分にとって本当に必要な勉強が何なのか、自分が一番したいことは何なのか、自分の頭で考えている人はほとんどいません。
何を勉強すべきかを考えて判断するという作業を、先生たちに預けてしまっているのです。それって、本当の意味で、“学んでいる”といえるのでしょうか?
例えば、この会場の高校生の大多数が着ている制服。おそらく、校則で制服の着用が義務づけられているから、みなさんは制服を着ているのだと思います。制服を着ていない私たちだって、制服を着ないことを自ら選択したわけではなく、たまたま制服のない学校だったから着ていないだけです。
深志高校には制服以外にも、指定靴や指定カバン、指定の体操服など、とにかく指定というものがほとんどありません。髪型や髪の毛の色について注意されることもありません。遠足の行き先や球技大会の運営も生徒に任されています。
多くの人が、こういったことを聞くとうらやましがります。しかし実際には、その深志高校の自由に関して、今、様々な問題が起き始めています。
例えば昨年、生徒会が「上下履きについて」という討論会を企画しました。
校舎の性格上、上下履きを区別する必要があるのに、土足で校舎内に入ってくる生徒がいる、ということが問題になったのです。
この討論会の議論の過程では、「土足で入ってくる一部の人のせいで、全員がうるさく注意されるのは嫌だ」「いっそのこと、全員指定靴に決めて欲しい」という意見も出てきました。
この問題について、みなさんはどう考えますか?
おそらく、深志高校が驚くほどに自由なのは、私たちの先輩が自由を獲得しようと努力してきた結果です。しかし現在、多くの生徒はすでにある自由に安住して、自分たちの置かれている状況の吟味や点検を怠っています。
だから今、深志高校の自由は、いつ崩壊してもおかしくない状態です。
一人一人が自分で考え、自由を維持する努力をしなければ、自由など、簡単になくなってしまうのです。

第三章  考衆

決められたことに従順で、周りの雰囲気にたやすく流される、という日本の高校生の特徴は、どんな国のどんな世代の人にも、程度の差こそあれ、少なからず当てはまることだと思います。
誰かに思考や判断を任せてしまう方が楽だからです。
しかし、現在のように、誰かに思考や判断を預け、社会の雰囲気に流されてしまう人が圧倒的多数になっている状態では、どんなに整った優れた社会が実現したとしても、問題がどんどん堆積されて、取り返しのつかないことになるに違いありません。
そこで私たちは、これからの人類が本当の意味で進歩していくために必要になる人間像を、次のように定義しました。

常に自分の頭で考え、行動を起こそうとする、自立的な人
自分の考えに固執するのではなく、別の考え方にも耳を傾けながら、対等な立場で議論ができる人
社会や周りの雰囲気に流されることなく、自分の感性を大切にできる人

以上の三点を備えた人間を、私たちは、近代の「公衆」でも、現代の「大衆」でもない新たな人間像として、考える衆、「考衆」と名付けました。
このような「考衆」ならば、社会に存在する様々な矛盾や問題に初期の段階で気づくことができ、その問題を自分のこととして捉えて、主体的に問題の解決に取り組んでいける、と考えます。
「考衆」になることは簡単なことではありませんが、ただの机上の空論というわけでもありません。
私たちは、自分たち自身が「考衆」になるためのヒントを得るために、自分たちの身近にいて、具体的に行動を起こしている「考衆」を探し、二人の方を取材しました。

第四章  先駆者

風景ここは、松本市近郊の安曇野市穂高にある、シャロムヒュッテです。シャロムヒュッテは、宿泊施設だけでなく、オーガニックレストランや自然食品店、フェアートレードの店を併設し、自然農の畑を作り、野外保育の活動にも協力して、一つのコミュニティーを作っています。
私たちが取材したのは、その代表である、臼井健二さんです。
臼井さんは、21世紀の新しい生き方のモデルとなるような、持続可能で共に生きる生活を提案しています。

そもそも「共に生きる」とはどういうことでしょうか?臼井さんはこう説明します。

「資本主義の競争でない 共生の瓦理論」

屋根の瓦を二十世紀は縦に重ねた時代なの。一番高いのがよしとされ クラスで1番 会社で1番 ワールドカップで1番
でも、その縦に重ねた瓦の下にはひとりしか憩えないわけ。
他はすべて、雨にぬれる敗者なんだよ。
でもね、本当は縦に重ねるよりも30%重ねて面というユニティ、つながりを作るとね、沢山の人がその下で雨露をしのぐことができる。
縦型からね、社会は横型に今再び、変わろうとしている。

私たちは、臼井さんの言う、この「共生の瓦理論」にまず衝撃を受けました。
確かに、これまでの社会は、雨露をしのぐ瓦を一人の人間の上に積み上げていって、一枚でも人より高く積み上げることを目指していた「競争社会」だったと言えます。
日本人の暮らしを世界中の人がすると地久がが2.5個必要 自然と第3国を犠牲にして成り立っている社会
温暖化や経済の破堤などもう成り立たない社会なんだね。
これからの社会は、本来の瓦のようにこれまで上に重ねていた瓦を横に並べていって、一人でも多くの人が雨をしのげるようにする「共生社会」にしなければ破堤する、と臼井さんは言っているのです。
そして瓦1枚かけても雨が漏る 自然界のどんなものにも存在価値とつながりがあるといいます。

実際に臼井さんは、シャロムのコミュニティーの中で、この考え方を実践しています。
私たちが特に驚いたのは、自然農でした。
私たちが知っている農業では普通、土に肥料を入れて耕してから種を播き、周りの雑草は引き抜き、害虫を農薬で防除して作物を育てます。
でも、臼井さんが実践している自然農では、草や虫を敵とせず耕しません。
また持ち込まず持ち出しません。

草が草を押さえ 太陽エネルギーを草に蓄えられ毎年毎年大地は豊かになり収量は増し
自然は調和する方向にむかうといいます。
もちろん、肥料も農薬も使わないのですから、作業の効率や収穫量は短期的に見ると良くないかもしれません。
でも、臼井さんはこんなふうに考えています。

「100とる努力」

熱帯雨林はすごく木が茂っている。熱いから地上の有機質が分解され木にエネルギーが蓄えられている。
そして、100だとするよね。大地はやせている。
でもこの里山は地上部には60くらいしかないけれども、大地に40エネルギーをを蓄えている。
熱帯雨林も里山もトータルでは一緒なんだよ。
熱帯雨林は森は豊かなんだけれど大地は砂漠のようにやせている。
絶妙なバランスのある熱帯雨林で人工的なことが加わると たとえば木を切れば砂漠化が進むんだよ。
でも里山は木を切っても若木が生えて森が若返る。
それは大地にエネルギーを蓄えているからなんだよ。
畑も草は太陽エネルギーを固定してより豊かな大地を作る。
草が大地を耕しより豊かになっていく。
1面では草は敵かもしれないけど マクロ大きく ホリスティック全体的に 時間軸をのばすと草も虫も敵でなく仲間であり むしろ有用なんだよ。効率的なことより多様なことの方が持続可能なんだね。
耕すという行為も有機質を分解させる行為で耕せば耕すほど作物はよくできる。
 でも大地は砂漠のようににやせる
だから外部から持ち込まなくてはいけない。まさにグローバル経済になってしまう。

私たちの社会はこれまでずっと、いわば100点を取るために努力してきた。
たとえば畑では、たくさん採るためにために土を耕して肥料を入れ、害虫から作物を守るために農薬を大量に使ってきた。
そうして収穫量を増やして生活が潤うことを目指してきたわけ。
でもここで沢山のひずみが出てきました。
臼井さんは100点は取り過ぎなんだといいます。
雑草や虫を排除して100点を取る方法は破堤してしまうといいます。
熱帯雨林も後50年開発が進むと すべてが砂漠になってしまうといいます。
長い目で見たら60点が永久に続く方が収量が多く より豊かになるというのです。
多様で持続可能で調和した生き方

<100点を目指して60点でよしとすべし トータルで150点であれ> 

知足と共生の考え この古く新しい考え方 共生の瓦理論に、私たちは共感しました。


第五章  希望

臼井さんは全てのものが共に生きる世界を目指して、高橋さんは全ての人が尊厳をもって生きられる社会を目指して、実際に行動を起こしています。
私たちは、お二人が目指す社会や未来像に共感し、刺激を受けました。
でも、それ以上に、それぞれの問題意識から自分なりに解決策を考えていこうとするその姿勢や、考えたことを実際に自分で始めてしまうその行動力に驚きました。
「こうであったらいいなぁ」と口で言うだけなら、まだ私たちでもできます。
でも、「こうであったらいいなぁ」を「じゃあ、こうしてみよう」と具体的な活動につなげていくことは、たやすいことではありません。私たちは、どうしたら最初の一歩を踏み出すことができるでしょうか?

メッセージ 高橋さん世界を歩いてるとね、どこでどうなるか分からない。いつもアンテナを立ててるとね、そうするとね、そこにいろいろなものが引っかかってくるから。
ぼーっとしてね、リゾートばかり歩いてたらね、そんなものはないですよ、何にも。でもやっぱりいろんな課題をもって歩いてたら、絶対そういうのはぶつかる。

メッセージ 臼井さん人間って、困難があるから新しい道が拓けてくると思うんだよね。で、今度の温暖化の現象もそういうものがあるから、じゃあどうしようという問いかけがあるんだよね。そういう意味では、僕らの人生は苦かもしれない。でもその苦を喜びに変える能力を人間は持っている、っていうところがまた素晴らしいところなんだよね。

社会の至る所で、解決不可能ではないかと思われるほどに問題が深刻化している現在。多くの人が無力感、失望感、閉塞感を感じ、未来に希望を持てなくなっています。
そんな社会の中で、臼井さんや高橋さんのように、現状に疑問を持ち、立ち止まって、自分の頭で考えて、実際に行動に移す人が、今、少しずつ増えてきています。
これが今の社会に確かに存在する希望だと私たちは考えます。

話し合いを始めたころ私たちは、社会が変わることで問題は解決される、と考えていました。しかし、それだけでは足りないのです。
本当の意味で進歩するためには、私たち一人一人が「考衆」になる必要があります。
でも、どうしたら、「考衆」に変わることができるのでしょうか。どうしたら「考えること」を始めることができるのでしょうか。
そういったことを議論している時に、私たちに必要なのは「絶対視しないこと」ではないかと気づきました。

私たちは今回、身近なところにおられた臼井さんや高橋さんという「考衆」に、圧倒され、刺激を受け、そして深く共感しました。
しかし、その感動のあまりに、そんな「考衆」が語ることを絶対視してしまうと、それは「考える」ことにはつながりません。
本当にそうか?と疑問をもち、これで本当にいいのだろうか?
と吟味するところから「考えること」が始まるのではないでしょうか。
それがどんなに当たり前の常識であっても、どんなに素晴らしい発言や実践であろうとも、鵜呑みにせずに吟味すること。
信じ込まずに立ち止まること。
何かを無条件に肯定しない、すなわち「何かを絶対視しない」ということが、「考える」ための出発点になるのです。
誰かが社会を変えてくれるのではなく、私たちが「考衆」に変わる。そういった「考衆」一人ひとりの存在が、本当の「進歩」の力になるはずです。

(一部分加筆しました。臼井)

信じる物はだまされる それでも地球が回っているといってギロチンにかけられた時代もありました。
私は今で持ちようが回っていると思っています?
凛ちゃんが言っているように考衆になることが大事かもしれません。
畑も耕せば耕すほど皆さんいいように思っていますが耕さない方が大地はより豊になっていきます。
信じる物は救われるといいますが もう一度立ち止まって考衆になってみる必要があるのかもしれません。
素晴らしいプレゼンでした。 臼井記 

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